10.限りあるのが俺たちで、誰もハビタスに逆らっていきることはできやがらない | |
限りあるのが俺たちで、誰もハビタスに逆らっていきることはできやがらない、あいつの母親の北の方は、あの煙になって一緒にいきたいと泣き焦がれるし、女房の車に慕い乗り、愛宕へいっていかめしく作法をやりに、着いたときはどんな心地がしやがったのか。 むなしき骸を見ても、まだいらっしゃる気もしていて、それではいけませんので、灰になったところを見させていただければ、もうここに居ないのだとひたぶる分かりましょうし、 と、賢しく云いやがるが、乗れば車から落ちるかというぐらいまろびやがるし、やはりそうかと、連中も煩いきこえた。 |
11.失くしてみなけりゃ分からない、それってホントによくある話だよな。 | |
内裏から遣いがあって、三位の位が贈られるのを読み上げやがる時が、ばあさんの最も悲しかった時だ。女御だとも呼んでやれてなくて、口惜しい思いもしていやがったが、一階の位をと思って贈ってやったんだ。これだって恨みに思う奴らはいくらでもいた。もの思いを知る奴らは、あいつの様、容貌のめでたさ、心ばせのなだらかで目易くて、恨みにきれなかった事などを、今さらに思い出しやがる。 俺のざまをみて妬んだんだと。人柄のあわれになさけぶかい思いを、俺の女房どもも恋偲びあいやがっていた。失くしてみなけりゃ分からない、それってホントによくある話だよな。 |
12.はかなく月日過ぎて、とぶらいは滞りなく終わった。 | |
はかなく月日過ぎて、とぶらいは滞りなく終わった。でもいくら経っても、悲しみなんて消えやしない。もう誰も呼ばず、ただ泣いて、ずっと泣いてすごしていたから、見てやがるやつも露っぽくなっていやがる秋。 亡くなった後も、胸くそあくまじけるような女のみおぼえだね とか、弘徽殿のはまだ許せないみたく云ってた。一の宮の面倒をみるにしたって、あいつとのガキのほうが恋しくなって、ガキの女房だとか乳母を遣わしてありさまを聞いてた。 |
13.ハビタスがすべてで、空想なんか砂場のごはんと一緒で、リアルの前じゃ何の足しにもならないんだ。 | |
野分立ち、にわかに肌寒い夕暮れのほど、常より思い出し出づること多くて、靫負命婦とかいうのを遣いに出した。夕月夜のおかしい頃に出だし立てさせて、あとは外を眺めていた。こんな時、よくあいつにアソビをやらせたもんだった、心ちがいの物の音をかき鳴らし、はかない言葉も、ほかの奴らとは違う容貌の、いろいろが思い出されるが、ハビタスがすべてで、空想なんか砂場のごはんと一緒で、リアルの前じゃ何の足しにもならないんだ。 |
14.命婦はあいつの家につき、門から入ったところであわれな気配を感じやがる。 | |
命婦はあいつの家につき、門から入ったところであわれな気配を感じやがる。やもめ暮らしになってしまったが、あいつのかしづきのため、とかく繕い立てなどして、目易いように過しやがっていたが、闇に暮れて臥し沈みやがるようになれば草も高くなり、野分に荒れる心地もして、月影ばかりが八重葎にも障はらず差し入っている。南面によこし、ばあちゃんはよくものをも言えず。 いままで止まって憂きを、このようなお遣いの(方の)蓬生の露分け入られるのを見るにつけて、たいへんに恥ずかしい心地です と、つとに耐えられなくなって泣きやがる。 |
15.夢のようにずっと辿っていたが、やっと思いも静まってきた | |
参りますと、心苦しくなってこころぎもも尽きるようです、と典侍もお上に奏しておりました、物思うことのない私でも、忍び難い事でありますのに ためらいがちに、俺の言葉を気声えやがる 夢のようにずっと辿っていたが、やっと思いも静まってきた、とおもったら堪え難い気持ちが続き、どうしたらいいんだろうかと、一緒にこんな話をできる奴がいなくて、忍んでやってきてはくれねえだろうか。ガキがおぼつかないで、露けき中で過ごすのも、心苦しくも思うし。ぜひ参ってきてくれねえだろか とか、言葉は多くありませんが、むせかえりながらも、人に心弱く見られまいと、遠慮なくいうわけでもない御心づかいの心苦しさに、承り果ててないようでも、そのまま参りました。 |
16.目も見えなくなっていましたが、賢き仰せ言を光とします | |
目も見えなくなっていましたが、賢き仰せ言を光とします で、御文をやった。 時もたちすこしうち紛れることもあるかと、月日待ち過ぐすのに添え、忍び難いのはわりなきわざだな。いわけないあいつをいかにと思いやりつつ、もろともに育まれないおぼつかなさを、今は、尚昔の形見になずらえて、一つ良きに計らってやってくれねえだろか。 など、こまやかに書かせておいた 「宮城野の露吹きむすぶ風の音に 小萩がもとを思ひこそやれ」 としたが、最後まで読めなかったと。 |
17.ガキはもう大殿籠もっていた。 | |
「命長さのつらさを思い知り、恥ずかしく思っておりますので、百敷に行き介はべりますことは、とても憚りが多ございます。賢き仰せ言をたびたび承りながら、自らはよういかれません。若宮は、どう思おし知るか分かりませんが、参らせていただくことを思い急いでおりますようで、そんな様子をかわいそうに思っておりますことは、うちうちに奏していただければと思っております。忌々しい私などが、そのようにおはしませば、忌ま忌ましうかたじけなくなりますので」 と云いやがる。ガキはもう大殿籠もっていた。 |
18.暮れ惑う心の闇も耐えがたき片はしでも、晴くばかりに聞いていただきたいのです | |
拝見させていただいたこと、詳しい有様などもお上に奏させていただきたいのです。待っておいででしょうし、夜もふけてまいりました といって急ぐ 暮れ惑う心の闇も耐えがたき片はしでも、晴くばかりに聞いていただきたいのです、私用などで心のどかにおいでくださいませ。昔は、嬉しいたよりのついでに立ち寄っていただいたのに、このような事でおいでくださるとは、返す返すもつれなきこのいのちにございます。 |
19.ただ、このひとの宮仕への本意、かならず遂げさせたてまつれ | |
生まれし時より、思ふ心あった子で、故大納言は、今際のきわとなるまで、『ただ、このひとの宮仕への本意、かならず遂げさせたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、返す返す諌めおかれましたので、捗々しい後見思う人も亡き交じらいでは、なかなかな事と念いながら、ただ彼の遺言を違えじとばかりに、あの娘を出だし立てはべらせましたのを、お上の身に余るまでの御心ざしの、萬にかたじけなきを、人げなき恥を隠しつつ、交じらわせて頂いて居たのであろうかと、人の嫉み深く積もり、安からぬこと多くなり添ひはべらせていただくに、横様になったようで、遂にかくのごとくなりましたから、かへりて辛くなりました、賢き御心ざしの事を考えますに。これもわりない我が心の闇でありましょう」 と云い終わらないうちにむせかえり、夜はふける。 |
21.ただあいつの形見として、かかる用もあればと残していやがっていた装束一領、髪上げの調度めく物 | |
月は入り方、空清くすみ渡れるに、風は涼しくなり草むらの虫の声ごえ催し顔なり、立ち離にくきくき草のもとかと 命婦が 鈴虫の声の限りを尽くしても 長き夜飽かず降る涙かな とやれば 「いとどしく虫のねしげき浅茅生に 露置き添ふる雲の上人 かごとも聞こえつべくなむ」 と言はせやがる。おかしき贈り物などあるやがる折でもなし、ただあいつの形見として、かかる用もあればと残していやがっていた装束一領、髪上げの調度めく物を添へやがる。 |
20.長い縁じゃないってことが、今はつらいあいつとの縁だな。 | |
「主上もそう仰っておりました。『俺の心のことであるが、あながちに驚くばかりのことをしてきた、長い縁じゃないってことが、今はつらいあいつとの縁だな。奴らの心を曲げるような事は無いと思っていたが、ただあいつの事で、さるまじき野郎どもの恨みを負い、果て果ては、こううち捨てられて、心をさめむ方無くて、人悪く頑なになり果てたのも、前の世のゆかしさか』とうち返され、御萎たれがちにのみおはします」と語つきやがらない。 泣く泣く、「夜が更けました、今宵過ごさずに、お上に奏させていただきます」と急かし去りやがる。 |
21.はやく参内させた方がいいとかなんとかそそのかしやがる | |
若い奴らは、悲しいことは云うに及ばず、内裏渡りを朝夕に慣らした奴らだったから、まあ騒々しく、俺の事など思い出しやがって、はやく参内させた方がいいとかなんとかそそのかしやがるが、「忌ま忌ましきわが身が添ひたてまつるのも、いと人聞き憂かろう、また、若を見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう」とばあさんのほうでは思いやがり、すがすがとはガキを参らせやがることができないでいた。 |