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全般的に、フィクションです

最新更新日時: 2011年12月31日 18時06分
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作成: 2010年01月11日 18時16分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
オランダの妻と日本で和解して 青野聡 愚者の夜
青白い夜が波のように寄せてはかえしている。障子の外を吹いているのは世界地図にはのっていない幻の国土からの風だ。時間は二人が吐きだす毒のせいか腫れぼったい。どん・どどん・どん・・どんどん・・どん・どどん・どどん・どん・どん。闇にうがった穴ぼこの底からかすかに太鼓の音がひびき、犀太はもっとよくきこうと試みるだけで穴ぼこに吸いよせられて頭から落ちそうになる。いけないいけないとおもい、のめりこむ身をひきもどそうとするうちに、いつもの映像がみえてくる。——メガホン型とも火山型ともいえる黒い巨大な筒が天にむけて立ち、麓を蟻よりも小さな人間の列が、靴をキュッキュと鳴らせながらやってきて、ひとりふたりと側面の梯子をよじのぼる。そしてさかさまに落ちこむ人は声もなく、凍りついたのか瞼も広げた指もつっぱって、ただ吸いこまれて落ちてゆく。二度ととまることもなく、おそらく、明日もあさっても来年も暗い広がりのなかを落ちてゆく。またひとり、ようやく口のへりまでのぼった者が空を飛ぶようにとびおりた。  天体のどこの片隅にこんな苦しげな広がりがあるのだろう。砂漠や曠野やアンデス山中で仰ぎみる夕暮れのまっさおな闇、あれが宇宙の正門だとすれは、これはかえりみられなくなってから久しい朽ちはてた裏門にちがいない。うつぶして両手を窓の下の壁ぎわまでのばしていた犀太は、クロールで息を吸うように顔をあげて右目でジニーを盗みみた。
(愚者の夜)
タグ: オランダ 結婚 外国人妻
作成: 2010年01月11日 18時05分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
作成: 2010年01月24日 20時05分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
作成: 2010年01月24日 19時55分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
電車にひかれたあと蜂やら鼠の生涯を観察 志賀直哉 城の崎にて
こうした立派な表現は、氏の作品を探せば何処にでもあるが、もう一つ「城の崎にて」から例を引いて見よう。 「自分は別にいもりを狙はなかつた。ねらつても迚(とて)も当らない程、ねらつて投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考へなかつた。石はコツといつてから流れに落ちた。石の音と共に同時にいもりは四寸程横へ飛んだやうに見えた。いもりは尻尾を反(そ)らして高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思つて居た。最初石が当つたとは思はなかつた。いもりの反らした尾が自然に静かに下りて来た。するとひぢを張つたやうに、傾斜にたへて前へついてゐた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめつてしまつた。尾は全く石へついた。もう動かない。いもりは死んで了(しま)つた。自分は飛んだ事をしたと思つた。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了つたのは自分に妙ないやな気をさした。」  殺されたいもりと、いもりを殺した心持とが、完璧と言っても偽ではない程本当に表現されている。客観と主観とが、少しも混乱しないで、両方とも、何処までも本当に表現されている。何の文句一つも抜いてはならない。また如何なる文句を加えても蛇足になるような完全した表現である。この表現を見ても分る事だが、志賀氏の物の観照は、如何にも正確で、澄み切っていると思う。この澄み切った観照は志賀氏が真のリアリストである一つの有力な証拠だが、氏はこの観照を如何なる悲しみの時にも、欣(よろこ)びの時にも、必死の場合にも、眩(くら)まされはしないようである。
(菊池寛 志賀直哉氏の作品)
作成: 2010年01月24日 20時07分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
遠野物語・山の人生 (岩波文庫)
「今では記憶して居る者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子どもを二人まで、まさかりで斬り殺したことがあった。
女房はとくに死んで、あとは十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰って来て、山の炭焼き小屋で一緒に育てて居た。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻って来て、飢えきって居る小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 眼がさめて見ると、小屋の口いっぱいに夕日がさして居た。秋の末の事であったと言う。二人の子どもがその日当たりの処にしゃがんで、頼りに何かして居るので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いていた。おとう、此れでわしたちを殺して呉れと言ったそうである。そうして入り口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えも無く二人の首を打ち落としてしまった。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕らえられて牢に入れられた」
柳田国男さんの「山の人生」は大正14年に書かれているが、その当時の思い出が「故郷70年」の中で語られている。明治三十五年から十余年間、柳田さんは法制局参事官の職にあって、囚人の特赦に関する事務を扱っていたが、この炭焼きの話は、扱った犯罪資料から得たもので、これほど心を動かされたものはなかったと行っている。「山に埋もれた人生」を語ろうとして、計らずも、この話、彼に言わせれば「偉大なる人間苦の記録」が思い出されたというわけだったのです。
 柳田さんは、田山花袋と親しくしていたが、花袋が小説のタネを欲しがっていたので、これを話した事がある。すると花袋は、「そんなことは滅多にない話で、余り奇抜すぎるし、事実が深刻なので、文学とか小説とかに出来ないといって聞き流してしまった」と書いている。これは注意すべき言葉です。そして、「田山の小説の如きは、こういう話の内容に比べれば、まるで高の知れたものである」と言っている。柳田さんは田山花袋を決して軽蔑などしていなかった。それは花袋が亡くなった時に書かれた「花袋君の作と生き方」という情理を尽くした名分を読めばよくわかるので、人間を制約する時代の力も強かったが、この真面目すぎた好人物が、後生大事に小説を書いているうちに、結局は己れが築城した自然主義の山頂に、あまりにも個人的な生活の告白のうちに、立てこもってしまったのは残念な事だと言っている。

小林秀雄
作成: 2009年12月22日 06時25分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
鹿鳴館青きドナウだ菊の花 (芥川龍之介 舞踏会) 
「西洋の女の方はほんたうに御美しうございますこと。」  海軍将校はこの言葉を聞くと、思ひの外真面目に首を振つた。 「日本の女の方も美しいです。殊にあなたなぞは——」 「そんな事はこざいませんわ。」 「いえ、御世辞ではありません。その儘すぐに巴里(パリ)の舞踏会へも出られます。さうしたら皆が驚くでせう。ワツトオの画の中の御姫様のやうですから。」  明子はワツトオを知らなかつた。だから海軍将校の言葉が呼び起した、美しい過去の幻も——仄暗い森の噴水と凋(すが)れて行く薔薇との幻も、一瞬の後には名残りなく消え失せてしまはなければならなかつた。が、人一倍感じの鋭い彼女は、アイスクリイムの匙を動かしながら、僅にもう一つ残つてゐる話題に縋(すが)る事を忘れなかつた。
>>(芥川龍之介 舞踏会)
作成: 2010年01月11日 18時23分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
ゴダール/鏡花
淀川長治 嫌いだったね。もしゴダールがいなかったら、もっと世の中はよくなったと思うのね(笑)
淀川 だから、気になることは気になる。ゴダールほど嫌いな人はいないけど、あの人には、なにか日本の文豪の泉鏡花みたいなところがある。鏡花の文学は明治・大正時代なのに、突拍子もない表現のしかたをする。場面を変えてね。外国を知らないくせに、その小説にはフランス的なところがある。ゴダールの作品にも、そんな感じがあるんだな。なにか、いっきに思い詰めていくような、一念みたいなものを感じる。そう、運命ね、この男の運命、女の運命、それを別の人のようにさめた目で見ているようなところが、ゴダールの映画にはあるね。だから、ゴダールは嫌いだけど、どこか憎めない。
作成: 2010年01月17日 12時41分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
寺にいって蛙みて生命探求 島木健作 赤蛙
私は赤蛙をはじめて見つけた時、その背なかの赤褐色が、濡れたやうに光つてゐたことを思ひだした。して見ると私は初めから見たのではない。私が見る前に、赤蛙はもう何度この繰り返しをやつてゐたものかわからない。 「馬鹿な奴だな!」私は笑ひだした。  赤蛙は向う岸に渡りたがつてゐる。しかし赤蛙はそのために何もわざわざ今渡らうとしてゐるその流れをえらぶ必要はないのだ。下が一枚板のやうな岩になつてゐるために速い流れをなしてゐる所が全部ではない。急流のすぐ上に続くところは、澱(よど)んだゆつくりとした流れになつてゐる。流れは一時そこで足を止め、深く水を湛(たた)へ、次の浅瀬の急流にそなへてでもゐるやうな所なのである。その小さな淵の上には、柳のかなりな大木が枝さへ垂らしてゐるといふ、赤蛙にとつては誂(あつら)へ向(む)きの風景なのだ。なぜあの淵を渡らうとはせぬのだらう?
(島木健作 赤蛙)
作成: 2010年01月24日 20時09分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
戦争は黒い波濤さ予備学生
はとう 大波。高い波。
作成: 2010年01月11日 18時20分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
作成: 2010年01月11日 18時12分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
作成: 2010年01月24日 20時15分 / 更新: 2011年02月19日 18時52分
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