不屈の民 |
「不屈の民」 エル プェブロ ウニド ハ マセ ラベン シド いまこそ立ちて歌わん 闘う我等の歌 貧しきものの中に 闘志の炎は燃え この苦しい暮らしの中 我等の道は一つ 今こそ高く掲げん 闘う我等の旗 働くものの中に 闘志の炎は燃え 血にまみれた鎖を断つ 我等の道は一つ 今こそ固く結ばん 闘う我等の手を 肩組むものの中に 絆は結ばれゆく この苦しい暮らしの中 我等の道は一つ 今こそ立ちて歌わん 闘う我等の歌 働くものの声が 大地に響き渡る この新たな世界を目指す 我等の道は一つ 今こそ我等 苦しみ乗り越え 血潮に湧きて 叫ぶ 進め! エル プェブロ ウニド ハ マセ ラベン シド 作詩・作曲 セルヒオ・オルテガ/キラパジュン 訳詞 フロイントコール >>(「不屈の民」) |
ビクトル・ハラ |
1973年9月、ピノチェトの率いるチリの軍部は、CIAやITTに後押しされて、クーデターでアジェンデ人民連合戦線政府を倒した。その際、サンティアゴ市国立競技場に狩り集められた政治犯たちを歌で励まそうとしたビクトル・ハラは、二度とギターを弾けないように両手首を折られ、顔を切りさいなまれたうえで銃殺された。 ビクトル・ハラは、フォルクローレをもとに闘う民衆の歌をつくり広める運動“ヌエバ・カンシオン(新しい歌)”の中心的歌い手だった。そしてこの歌は、一時期ハラが請われてリーダーとなっていた“ヌエバ・カンシオン”の代表的グループ、キラパジュンとセルヒオ・オルテガによって作詞作曲された。この歌はまた、「アジェンデと共に」という題をもつけられ、人民連合政権時代はチリの第二の国歌として機能していた。さらにクーデーター後は、アメリカ帝国主義と独裁政権に対して闘うすべてのラテン・アメリカの人々にとって、心の支えとなりつづけている。 団結した人民は 決して敗北しない 立てうたえ 勝利の日を 団結の旗 風になびく 足なみそろえていこう 友よ きみの歌きみの旗が 暁の光うけて 命の炎もやす 立てたたかえ 人民のため 幸せをかちとろう 勝利の日は近づく たたかう者の声を合わせて 自由の歌 ひびきわたり 祖国解放の決意固く そして人民はたたかいに立ち 叫びあげる 前進せよ と 「不屈の民」はキラパジュンの他、インティ・イマジニ、チャーリー・ヘイドンのレコードでも聞ける。また、アメリカの作曲家フレドリック・ジェエフスキーはピアノのための「不屈の民変奏曲」を書き、作者自身、アーシュラ・オッペンス、高橋悠治の録音がある。 >>(不屈の民) |
ジェフスキー「不屈の民」変奏曲 | |
ジェフスキー作品のほとんどは、あからさまに政治的で、即興的な要素が目立っている。ジェフスキーがマルクス主義者であることは異論を俟たない。比較的よく知られた作品のひとつに、≪「不屈の民」変奏曲 The United People Never Be Defeated! ≫(政治闘争歌 "El pueblo unido jamas sera vencido" による36の変奏曲、演奏の難度においてベートーヴェンの≪ディアベリ変奏曲≫に結びつく華麗なピアノ曲集)や、1971年のアッティカ刑務所暴動の際の、同刑務所服役囚からの手紙に曲付けした≪カミング・トゥゲザー Coming Together ≫、≪ノース・アメリカン・バラード North American Ballads≫≪石油価格 The Price of Oil ≫≪限りない空間の静けさ Le Silence des Espaces Infinis≫がある。≪アンティゴネー神話 Antigone-Legende ≫は、アメリカの政策に反対の意思表明をしたものであり、1986年4月の初演は、作曲者にとっても突然で驚いたことに、米軍のリビア爆撃の当夜であったという。 ジェフスキーの作曲家としての姿勢、とりわけ社会参加のあり方は、高橋悠治と水牛楽団に影響を与えた。≪「不屈の民」変奏曲≫は、かつての高橋自身が得意とするレパートリーのひとつであった。作曲活動とピアノ演奏は定期的に行われ、世界中でライブを行い続けており70歳を過ぎてもピアノの腕前はなお健在である。2008年現在では、ベルギー在住のマネージャーが全作品の楽譜の管理を行っているが、ジェフスキー個人は「コピーレフト」の考えを表明している。 >>(フレデリック・ジェフスキー - Wikipedia) |