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最新更新日時: 2017年09月30日 13時06分
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構成 |
マチウ書試論 1 マチウ書やキリスト教にはどのようなモデルがあるのか ・ヘブライ聖書、アポカリプス、ポール書簡、マーク書 ・マチウ書はくらい アルトゥルドレウス「キリスト神話」 ウルトラモンタン ユダヤ教に対する敵意と憎悪感 どのようにジュジュは造られたか 黙示録の描かれ方 マチウ書でのジュジュの描かれ方 2 ドストエフスキーの大審問 3 ユダヤ教に対する憎悪について |
造語です |
『マチウ書試論』(1954年)マチウ書とは吉本の造語でマタイ福音書のことをさす。吉本は新約聖書を読み込んでキリスト教の本質がいかに形作られていったかに注目し、新約聖書のなかでもマチウ書に注目する。 *吉本が考えるキリスト教の本質→ 抑圧されている者のための宗教 絶望の宗教 【疑問点】 吉本が考えるキリスト教の本質について、彼はどこからこの二つの結論を導き出したのか? そして「絶望の宗教」とはいかなることか? 「絶望」と「宗教」はどう結びつくのか? 【岩本のコメント】 この吉本の「マチウ書試論」は、前に述べた福田恆存の「一匹と九十九匹と」の影響を色濃く受けています。それを念頭に置くと、松本さんの質問に答えるには、福田の「一匹と九十九匹と」という補助線を引く必要があります。もう一度福田の論文を読んでいただくと分かると思いますが、簡単に述べると、「弱者の劣等感」と言うことです。つまり、自分たちをいかに正当化するか、という理論付けの役割を果たしたということです。吉本のふたつの結論も、「絶望の宗教」ということもそこから出たものだと言えるでしょう。 >>(京都精華大学 人文学部 Web授業公開:岩本真一の「日本文学論 II」) |
爆笑につぐ爆笑 |
こうまでラディカルなマタイ伝の解釈はほかにない。宗教性を切り刻み、神秘性を剥ぎ取って、原始キリスト教の底意地の悪さをえぐってみせるやり方はときに爆笑を誘う。 >>(glory box ( sleep ): マチウ書試論/転向論) |
なぜマタイ伝からの引用や典故が多いのですか? |
小説に聖書からの典故があって注記に「マタイ伝から」とあったので調べてみたら、マタイ伝だけではなくて別の福音書にも同じ記述がありました。そう思って見るとたいていマタイ伝のどこそこに記述がある、と書かれています。マタイ伝は福音書の中でも権威があるとか古いということなのでしょうか?特定の話は特定の福音書から選ぶ、といった傾向はありますか? >>(なぜマタイ伝からの引用や典故が多いのですか? - Yahoo!知恵袋) |
キリスト神話 (1951年) (岩波現代叢書) | |
マチウ書試論の中に登場する。引用も多数 |
わが神、わが神、なにゆえに私を捨てられるのですか |
マタイ伝のクライマックスでイエスが言うせりふですがこれのもとになっている歌というのが詩編の22章にあるという話しを今日しりました |