音楽の流刑地 >>

最新更新日時: 2011年01月25日 04時52分
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というのは、水木荘の十人の一人であるバンドマンにヒロポンの味を教えられていたからである
 その頃昭和二十六年、実は、僕は、このころ、頭がオカシクなりかけていたのだ。というのは、水木荘の十人の一人であるバンドマンにヒロポンの味を教えられていたからである。当時は、ヒロポンは何ら禁制品ではなく、薬屋で百円ぐらいで売っていた。「ヒロポン」というのは、何とかいう制約会社の商品名で、他の会社では「ゼッドリン」とか「ホスピタン」という名称だった。小説家たちが競って服用、(注射の他に内服もあった)したりして、やがて、中毒による妄想なんかが問題になるようになったわけである。バンドマンは、全くの善意で、「ええ薬でっせ」と言っては、ヒロポンをおごってくれるのだ。僕が、一本しかない手を出すと、注射までしてくれるサービスぶり。注射すると、まるで天下をとったようにいい気持ちになった。しかし、ふだん眠たがりの僕が全然眠くなくなるので、これはマズイと思いやめた。僕は、そんなに何回もやったわけではなかったので、軽い中毒だけですんだのである。ところが、僕自身は軽いと思っていたのだが、他人からみれば、かなり中毒だったらしく、ずいぶん変人に見えたのかもしれない。
作成: 2011年01月22日 15時22分 / 更新: 2011年01月22日 15時23分

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