レイヴン江戸川橋支店/物語の形式
ロドリゲス出版関係
最新更新日時: 2011年01月14日 00時31分
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『ワタリガラスが去る時世界は終わる』について |
猿楽能(猿楽の能)が大成したといわれるのが室町初期であり、観世親子によって形式が確立された事は良く知られていることである。その中でも一際形式がスタイリッシュな分野に、《夢幻能》というのがある。二場物の形式と呼ばれるそれは、一場に出てくる“前シテ”、二場に出てくる“後シテ”が共通のペルソナを持つものだ。 その話を回すのに、諸国一見の僧という“ワキ”が用いられる。旅をする途中に、前シテに出会う。二場になってその人物が何者であるかが明かされ、ようやく僧が物語に対して積極的な役割を担う。話によっては嘆じたり、菩提を弔ったり、念仏を奉る。そうして何らかのフラストレーションの解除、あるいはカタルシスが起こったのちに諸国一見の僧と供に観客はその世界を離れるのだ。非常にシンプルで効果を出しやすい物語の形式ではある。 ちなみに観世親子のこうした形式の洗練に対して、観世信光は反動的な作品を残した。以下、抜粋。 『観世父子が夢幻能とシテ中心主義の簡素化を狙ったのに対し、室町中期に現れた観世信光(一四三五~一五一六)はやや写実的な、ワキや囃子も活躍させる豪華で複雑な能を作った。一種の復古運動である。それは一座の太夫が若年で、一人のスターの演技で堪能させることがむずかしかったのと、戦乱の世に入り、人心が刹那主義の華美を好んだためでもあったろう。』 |
日本音楽の歴史 | |
吉川英史 著/創元社 初版1965年6月20日 |